夢を仕事にする方法

「中2で描いた夢」を叶えるために! 夢を仕事にする方法に掲載されました。


この度、週刊大阪日日新聞社様のご縁があり、「夢を仕事にする方法2」に掲載いただきました。今回は掲載頂いた内容をご紹介しながら改めて少し社長になった経緯をお話しいたします。

「中2で描いた夢」それは将来社長になること。でした


私の家庭は祖父母、両親、兄弟も全員公務員家系で高校を卒業したら大学に行く。その後就職して公務員になるか大手企業に勤めて生涯その仕事をする。という事が当たり前の環境で育ちました。幼稚園から私立に通わせて頂き正直、貧しい家庭ではなかったですがその「決まったルール」に対して違和感を感じたのが中学2年生の頃でした。

親や、親戚から認められなければいけない。みんなが納得のいく進路に進み心配や迷惑をかけてはいけない。「なぜ自分の人生なのに他人に決められなければいけないのか?」その事に疑問を感じ、私はその環境から脱却するにはどうすれば良いか?考えました。考えた末に思いついたのが「社長になる」です。当時はすごく漠然としていましたがなぜそう思ったのかと言うと、周りに納得させられるようになるには「自立」しなければいけない。

自立=経済的自立と考えた事。そして社長になれば時間とお金の自由が手に入り自分の好きな事で仕事したり好きな事をする事ができる!と思ったのです。今考えると単純だなと思うのですが笑。思い立ったら行動派な私は周りからの反対を押し切り、そこから社長になるにはどうすれば良いか考えた結果、手に職が必要だ!と思いつき美容業界へ飛び込みます。

高校卒業後、大学へは行かず美容の専門学校に。目指したのはネイリストでした。当時のネイルスクールはとても高額で半年間で200万円ほど。バイトを掛け持ちして朝から晩まで働きながら週末学校に行き毎日2時間という睡眠時間の中、ネイルの勉強をしていたのを今も覚えています。無事学校も卒業できネイルの試験にも合格できたので晴れてネイリストデビュー!これで社長への一歩を踏み出せた気がしました。

理想と現実のギャップ

当時はちょうどネイリストブームで「ネイリストになる=おしゃれ」とか「女性の憧れの職業!」のような肩書きがあり忙しいながらもやりがいのある仕事に毎日充実していました。ネイリストとして活動し5年が経ちそろそろ独立を考え出した頃ネイル業界での限界を感じました。

それは価格破壊による同業種の潰し合いが始まったのです。価格を下げる→回転率を上げなければ売上が立たない→回転率を上げる事ができなければネイリストの給料の減給。負のループです。

需要に対して供給量が増えすぎてしまった事、安くネイルサロンに通えるようになった事からネイリストの価値が落ちてしまったのです。ネイル=高いものではない。そしてその頃からセルフネイルの時代に突入してきましたから、より拍車がかかりネイリストのリストラ、閉店が相次ぎました。これはやばい。と感覚的に感じた私は手に職があっても生きていけないんだ!と思い退職を決意。当時IT業界が右肩上がりに急成長していたのを知りこれからはITの時代だ!と考えパソコンを使用した仕事はないかと求人を探していたら1つの大阪の企業に辿り着きました。

その企業で出会ったのが「バイヤー」という仕事。

その企業では自社で海外へ買付けを行い日本へ発送し、日本の企業へ向けて卸や小売りを行うという事業。これはのちに現在の弊社が行っている事業の1つのきっかけとなります。
当時の私にはとても衝撃でした!仕事で海外に行けるなんて!そんな夢のような話があるのか!ワクワクしかしませんでした。そこから英語、ファッション、海外での買付け方法、日本での販売方法、ECサイトの運営方法、会社運営などを学びました。そこからWEBディレクターという職業しながら年に数回海外に渡航し海外バイヤーとして活動を続け、今はその当時勤めていた会社が弊社の取引先の1社になります。

今ではヨーロッパをはじめ、ハワイ、アメリカ、タイ、韓国など様々な国で買付けを行い日本の企業様、個人様へオーダー品を提供しています。中2では考えてもしなかった事業。ネイリストを経て自立することへの現実の厳しさ、ただ社長になるだけでなく会社を運営するという難しさがありますが、お客さまや周りのスタッフ、事業関係者に支えられ日々学ばせて頂きながら成長しています。私自身今年で海外バイヤー11年目になります。
今後は買付け事業だけでなく今までの経験やスキルを活かしてバイヤースクール、留学事業、インターンシップなど様々な日本と海外を繋ぐ取り組みを事業として取り入れ、女性がもっと活躍できるよう社会に貢献していきます^^

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。